カムナガラの道を歩む日常で、ふと感じたことや思ったことなどを 徒然に綴っていきます♪

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覚せい剤報道から何を思う・・?
大変久しぶりの更新です。

テンプレートも、一番最初の基本形に戻しました。


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某タレントさんの、覚せい剤報道。


連日、その進捗状況をテレビやネットで拝見していましたが。。



皆様は何をお感じになられたでしょうか。


きっと、人それぞれ、思うことは様々あろうかと思うんですが、

私も、強く感じたことがありました。

それは、



「誰の心にも、【闇】 はある」


ということですね。


大変クリーンなイメージを持ってましたので、とても意外だったんですが
だからこそ、

「光と闇」

のコントラストが、強く映し出されたような気がしました。



そして、


自分自身の中にも、【闇】はある。

その【闇】の存在を、しっかりと認めることが大事。



そんなメッセージを感じました。



【闇】=【欠け】 ともいえます。


欠点のない人間などいませんが、なかなか人は、
自分自身の欠点を認めたがらないもの。

欠点があることは分かっていても、それをどうしても嫌ってしまう。


でも、そうではなく、
その欠点をありのまま認め、

「では自分はどうなりたい?」「どうあるべき?」

という問いかけに転じ、
そのための努力をしていくことができれば、
その欠点は もはや欠点ではなく、
前進するための 「原動力」 となりえます。


また、その欠点を認めることができれば、
その部分に優れている人の尊さを認めることもでき、
そこに絆が生まれ、「和」が生まれます。


今回の報道から、そんなことを感じました。


いろいろ感じることはあろうかと思いますが、
自分自身の 「闇」 「欠点」というものを
真剣に見つめなおしてみる 良い機会と思って
今一度、自分自身に目を向けてみるのも、よいのではないでしょうか。



カムナガラタマチハエマセ


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アファメーションの効果(突破口)
前回の記事の続きです。



「自分を必要としてくれる職場は必ずある!」
「私はそれを信じる!」


と、アファメーションをした日の午後、急に思い立ち、
携帯電話を数年ぶりに、最新機種に機種交換しました。

mixi日記で詳しく書いてありますが、


 携帯電話=送受信機 だから、
 今後の神界エネルギーを受けるには、
 今のボディでは対応できない、
 だからバージョンアップする必要がある



ということの象徴かな・・?と、思ったんですね。

新機種の携帯電話を購入するのも、
私生まれて初めての体験なんです^_^;


で、その日は帰宅後ずっと、夜遅くまで携帯電話の設定に没頭。


そして翌日、

いつものように朝からインターネットで
就職情報を調べていたときのことです。


私は地方に住んでますので、
自宅から通える地域で事務系の仕事というのは、
ハッキリ言って今、案件がほとんどありません。

なので、今は地域も全国区に広げ、
職種も、自分ができる限りの範囲に広げながら
活動を進めているのですが、
それでもやはり、応募できるような案件そのものが、
ほとんどありません。。

たいていどこの企業も、自宅から通える人から優先して採用しますし、
一人暮らしをしながら生計を立てるには、ある一定の収入がないと難しいですから
条件もそれだけ厳しくなってしまいます。



自宅から通える範囲では、案件がない。
かといって転居するには、条件が尚厳しくなってしまう。



4月から活動を続けてきて、どうにも行き詰ってしまって、
うーーーむ・・と考えていたとき、

ふっ、と思いつき、
いつもとはまるで違う切り口で、調べることにしました。


「地方・転職・厳しい」


のキーワードで、検索をしてみたんです。



「ほんとーに、地方の転職って、厳しいの?」

という問いかけが頭の中に浮かんだもので。


すると、同じように悩んでいる地方転職者の質問が
掲載されている掲示板にたどり着きました。

そしてそこに、一人の方のアドバイスがあって、
 
 「数ある転職支援サイトも、それぞれに特徴があるから
  自分に合うサイトを見つけないと時間ばかり無駄にしてしまう。
  例えば、「転職情報・○○県」などで検索してみたらどうでしょう?」


というメッセージがありました。


もちろん私も、今までもそのように探してはきたのですが、

キーワードとして、
「転職情報」という言葉を使ったことは、今までなかったな・・・と思い、

ためしに私もそのキーワードで検索してみたんです。


すると、今まで見たことなかった転職支援サイトが、トップに出てきました。


早速求人を見てみると、ちょうどその日更新されていて、
一番最初に、「これは!」と思う求人が掲載されていたんです☆


本当に久しぶりに、応募したいと思える案件に出逢いました!


早速応募し、その日のうちに連絡があり、
ひとまず一歩、前進しました。
ここからが、ようやくスタートなんですけどもね♪



こういう展開が、私は嬉しいんです。


数年前、アファメーションの効果を勘違いしていた頃の自分は、
アファメーションをしたら、あとは全部「天(神様)」が動いてくださって、

自分は何もしなくても、例えば、

知人から突然仕事の話をもらうことになる、とか
mixiの記事を見ていてくれた方から、
仕事の依頼の話をいただいて即採用、なんていうような、

そういう 「棚からぼた餅」 的な結果がもたらされる、と、
思っているところがありました。


だけど、今回、自分はそういうのは違うな・・って
改めて思ったんです。


自分で動くことなく、布団で寝ている間に
すべての段取りがなされて、最終的な結果だけが、

「さあ、どうぞ♪」

と、差し出されてしまうのは、
楽でしょうけどなんか違うな、って。



ですから、アファメーションをしない時と、
やっている行動は同じかもしれません。

情報収集をし、レジュメを見直したり更新したり、何件も応募したり・・。
応募しても異に沿わない結果も、あるかもしれません。


でも、実際にそうやって自分で動き、考え、行き詰ったかと思ったら
ふっとアイディアが生まれ、そこから、効率良く、トントントン♪ と
歩みの駒が進み、突破口が開かれる、というように、

自分にとって無駄のないルートで、
あるいは自分にとって最高の学びを得られるルートで
目的達成まで歩んでいける、というのが、
私は嬉しいんです。




ただ、くれぐれも誤解のないように申し上げたいのですが、

「棚からぼた餅」の例としてあげたような展開が、
人によっては「棚からぼた餅」とはいえないかもしれませんし、
そういう展開がいけない、というつもりは、ひとつもありません。


あくまでも、「自分にとって」一番ベストと思える歩み方であれば、
それで良いのだと思います。



まだまだこれからが真剣勝負。
雇用保険の給付が延長対象になったとはいえ、
リミットはあと2ヶ月。


自分の価値を信じ、守護霊様、守護神様を信じ、天を信じ、
それを原動力として、これからも努力を積み重ねていきたいと
思います☆



カムナガラタマチハエマセ


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自己信頼のアファメーション
先日、車でいろいろと所用で出かけながら
ふいに湧き上る想いとともに、
まるでアファメーションのような行動に出ていました。


前回の記事でも書きましたが、厳しい就職活動のことで
自分のニーズについて、あれこれ思い巡らせていたときの
ことです。

 世の中のニーズは、星の数ほどあり・・

 自分でも思ってもみないことが、誰かのニーズに
 マッチすることもある。

 可能性は無限大。


そんなことを噛み締めていると、強い「想い」が
胎の底から沸きあがり、


「自分を必要としてくれる職場は、必ずある!」

「私はそれを信じます!」



と、強く思いながら、声に出して宣言していたんです。


うわ〜〜〜っ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

という、自分を包み込むエネルギーと共に。。



そして、その「想い」を噛み締めてると、

「おや?」

と、気づくことになります。




さきほどの考え方とは、


「誰しもが持つ【欠け】」を、お互いに認め、補うことであり、

つまりそれが、「和する」 ということである



ということに繋がると思いますが、


自分は今まで、
「他人の欠けを認める」 ことばかりに意識が向いていて、
肝心な「自分自身」に意識が向いてなかったのでは・・?と
思ったのです。


というのも、


「自分を必要としてくれる職場は、必ずある!」


と、強く信じながら、感じながら、声に出して宣言してみて初めて、

私は生まれてこのかた、そんなふうに自分のことを思ったことが
ただの一度もなかった(!)ことに、気がついてしまって・・・(笑)


え・・。ほんとーに、今更?


ものすごく新鮮な感覚で、驚いてしまいました。

でも、これこそが、「自己信頼」 というものでしょう。

それが今までただの一度も、本当の意味で出来ていなかったのだ、
ということに、やっと、やっと、気がついたような気がします。



「自分が誰かに必要とされている」

と思うことは、うぬぼれでもなんでもなく、
それは当たり前のことなんですね。。

この世に生を受けているということは、必要があるからこそであって、
それは特別なことでもなんでもなく、すべての生きとし生けるものの
一番根源の基本的な真実、なのですね。


もちろん、「理屈」では、分かりすぎるくらいに分かってました。

いや、そういうのは「分かる」とは言わず、「知っていた」と言うほうが
適しているかもしれません。

「知識」として「知っていた」だけ、だったんですね。


でも今、心の底からそう信じることができて、やっと

「頭」と「心」が繋がりました。


そして、ハートチャクラが起動し始めたような・・?
そんな感覚があります。


これも、自分にとってはかつてないほどの
厳しい就職活動を体験してこそ得られたことだと、
つくづく実感しています。

私の場合は、どうしてもこういう追い詰められた体験でなければ、
その「気づき」は得られなかった、ということなのでしょう。






で、このことは、あまりにも基本中の基本、
土台、根幹の部分ですね。

これでようやく、「環境」が整うわけで、

ここからようやく、「創造、クリエイション」の世界が
始まります。


それは、最終的に全体に貢献するために、
自分独自の特性を生かすための
「努力」という名のクリエイションとも、いえるんじゃないでしょうか。


私が数年前に意識の目覚めがあってから、
精神世界の書物を読むようになっていた頃、

「シンクロ」 とか 「引き寄せの法則」

などを目にして勘違いしていたことがあるんですが、


自分の波動が高まると、自分は何もしなくても
勝手に「シンクロ」がおきて、
あれよあれよと棚からぼた餅のように
自分の望むことが起きる


と思っていました。

数年前に同じように転職活動をしていたときも、
そんなことをうっすら期待していたフシが、ありました。



でも、自分はそういうのは望んではいない、ということを
今改めて思います。



自分を必要としてくれる職場は必ずある!

と、自分と天を信じることで
まずは基本的な環境が整いますが、

そのエネルギーは、その後、自分が進む道においての
道しるべであったり、推進力、発想力をサポートしてくれるものであって
自分自身が努力して動くことで、そのサポートを生かしていく歩み方を、
自分はしていきたい、と思うのです。


それを実感したことが、ここ最近ありましたので
次回はそれについて記事にしたいと思います。



カムナガラタマチハエマセ


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元同僚&物事を形作る要素
記事書きたい欲求が、止まりません(苦笑)

始動スイッチが入ったのかな。。



数ヶ月前から、記事にしたいと思いながらも
なかなかうまいこと文章にまとまらなかったのと、
なんとなく記事にするまでに至らなかったことです。


じゃあ今なら、うまくまとまるか、というと
どうもそうでもなさそうですが・・・なぜか無性に、書きたいので
とりあえず、書き出して、みます。


+++++++++++++++++++++++++++++


前回に引き続き、転職に間接的に関係する話題なんですけど。


直前に勤めていた会社は、会社都合(本社に吸収合併)により
いわゆる「派遣切り」というヤツで、退職とあいなりました。


が、もともと「正社員前提」で採用されていたこともあり、
会社側も、大分迷ってくださっていたようです。


後日、私は会社側の二人の方から、最終的な決定に至るプロセスを
教えていただくことになったんですが、
その時に、自分のものの見方に新鮮さを感じた、大変印象的なことが
ありました。


解雇1ヶ月前に、上司との面談の中で、こんなことを言われます。


「みずきクンは、どうもここでスッパリ見切りをつけたがってるみたいだし・・
 この先会社存続さえ危うい我が社にいるよりは、もっとちゃんとしたところで
 自分のやりたいことを発揮させた方がいいかもしれんな。」

で、私、「え!?」 と 驚いたんです。


「スッパリ見切りをつけたがってる」 なんて、

私、ひとっことも、言ってないんですケド。。


こういう状況だから、会社側が採用継続してくださる、というのならば
ありがたくお話し、受けようかな、と思っていた矢先でしたので、

一体どこから、そんな流れになっちゃうの!? 

と、なにやらヘンなものを、感じました。

もちろん、状況が許せば、自分には継続の意思はあります、ということを伝えましたが
結果的に、解雇、ということになったわけです。


でもまあ、それも運命だし、どこか自分でもそれを予感して納得してる自分がいました。


で、その約一ヵ月後。

同じ職場で勤務してた同僚と食事をしたとき、
こんなことを聞かされたのです。


「マネージャー(上司のこと)たちも、みずきさんのことで、大分迷ってたみたいですね。
 私、マネージャーに相談されたので、勝手で悪いと思いましたけど、
 
 【みずきさんは多分、ここ、やめたがってますよ。新しい職場で再起はかった方が
  みずきさんにとっては、いいと思います。】

 って、言っちゃいました☆ よかったですよねえ?」


とのこと。


あー、ここだったのね、出所は、 と、合点。


あはは☆ 
確かに、ソートー、勝手ですね(笑)
私が言いもしないことを、勝手に決めつけて、勝手に助言しちゃうんですもの^_^;


で、実際、その後また上司から話を聞くことになるんですけど、
この助言が決定的だった、そうです・・(汗)


ただ・・・
不思議でしたけど、腹が立たなかったんですよ、ちっとも。。

というか、この感情と感覚を、うまく表現できるかどうか、分からないんですけど、


なんかですね、 「同僚の助言」 というのが、

【私の人生を構成する「ピース」のようなもの】 という感覚がしたんです。


結果的に、転職をすることになった自分を見つめてみると、
確かに前途多難ではあるけれど、嫌じゃないんですね。

あのままあの会社に残っていたことと、転職することを比べてみると
やっぱり、転職することになってよかった、と思うんです。


ただ、もちろん、彼女の行動そのものは、とても素晴らしいとは
思えません。
もし自分が彼女の立場だったとしたら、
人様の人生を左右するような場面で、彼女のような行動は取りたくないです。


で、多分・・ 昔の自分なら、彼女にすごく腹を立てたと思うんです。
それは間違いなく、想像できます。

何に対して腹を立てるか、というと、「彼女の言動」そのものについて、です。

「人として、そういう言動は、いかがなものか」

といって、腹を立てたであろう、と思うんです。



だけど、今回はそうは感じなくて、

視点の先が、「転職することになった自分」 にあって、

今現時点でこの状況を形成したいろんな要素は、きっといろいろあるだろうけれど、
自分の意に沿おうが沿うまいが、そのこと事態はあまり重要ではないよなあ、と。

彼女の「やれやれ」と思う言動がなければ、多分今こういう展開には
なっていないでしょうし、
それは自分にとってどうだったんだろう?と思うと

「ああ、よかったな」

と、思うわけなんです。



彼女は結構、今回のような行動が目立ちます。

それひとつひとつを捉えると、「おいおい、それはよろしくないゼ」 と
思うことが多いんですが、

それも、全体から見ると、結構重要な役割を果たしているように
思えたりするんです。


昔は恐ろしく苦手な相手だったんですけど、
今は結構 ウマが合う感じがあって、
退職後もたまに食事に行ったりして、たっくさんいろんなこと、話します。

そして、すごく楽しい。
ついつい話が盛り上がって、気づけば5〜6時間くらい、たってたりする(笑)

何よりも、彼女からは、「力強いエネルギー」 をもらえる感じがするので
「癒し的」なエナジーチャージではなく、「エネルギー充填」的なエナジーチャージが
できるみたいです。




最近ずーーっと書いてきている記事と
本質は繋がってることなんだろうなー、と思います。


とりとめもないですが、
やっと記事にできて、ホッとしてます^_^;


よし、これからお出かけしてきます。





カムナガラタマチハエマセ



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就職活動の日々 〜「常識」の壁〜
今年の4月から、就職活動してます。

転職経験は豊富ですが(って自慢になるかいっ!・苦笑)、
今回は多分、これまでで一番、手強いです。


もともとワタクシ、何事も、ギリギリまで追い詰められないと
まるっきり底力が湧いてこない性分で・・(はー。。ため息

子供の頃から、夏休みの宿題は最終日に真っ青になって片付けてたし
テスト勉強もほとんど一夜漬け・・。


前々から余裕もってペース配分考えて・・という長距離走者ではなく、
一発一点集中、悲しいくらいに 超・短距離走者 なのですよねえ・・(ふ〜・・。


なぜこんなたわいもないことを つづり始めたかというと、

そろそろ・・・・エネルギー集中して気合入れないと、ヤバイな・・。と、
「追い詰められ感」の到来を、じわりじわりと 感じ始めたからなのです。

この感覚が、どうも本人は、結構好きみたいで・・(苦笑)


好き、というより、「性分」と言う感じですケドね。。


で、なんとなく、こんなふうにつらつらと、就職活動について思いつくことを
綴ってみたいな、と思ったワケです。


まとまりは、多分ないと、思います。

完全に、個人モードの内容ですので、いかようにでもスルーしてくださいませ☆


+++++++++++++++++++++++++++++++


就職活動って、ほんとに、「自分の棚卸し」作業なので、
すごくありがたい期間だな、と毎回思います。

自己分析はもちろんだけど、自分の価値観とか、世の中との関わりとか、
日頃考えないようなことまで、深く考える機会を与えてもらえるわけで。

で、今の自分は、常識的に見ると、
この求人件数が激減してる中、転職成功させるには、
かなりハンデが、あるわけです。

年齢的にも、転職回数的にも、そして実力的にも。


確かに「常識」って、自分の思い次第だから、いくらだって壊すことはできます。

ただねえ、その「常識」ってのは、そうそう侮っちゃ、いけないと思うんです。


その「常識」をぶち破るには、それだけのパワーがないと、なあ、って。
もちろん、「フォース」的なパワーじゃないですよ、
あくまでも、「エネルギー的」 な、パワーです。

精神力とか、信念とか、集中力とか、そういうたぐいの。


今まで、「常識」をぶち破った経験が、まるっきりないわけじゃ、ないです。
だから、不可能じゃないことも、知ってます。

でもだからこそ、「常識」の手強さを、感じるんですよ、ハイ・・・。



で、今、私は、自分の中で築き上げてしまっている 「常識」 の壁を、
なんとか ぶち破りたい☆ と、思ってるわけなんです。


で、今日はまた、自問自答してみたり、
バラエティ番組見てバカ笑いして、気持ちリセットしてみたりしながら

ど〜すれば、いいですかねえ・・?

と、守護霊様に問いかけてみたり、したんです。



そしたら、予想に反した内容が、頭に浮かんできて、

「えー、なぜ今、それ?」

と、思わないでもなかったんですが、思いをめぐらせてみました。



それは、過去の自分の転職事例。
採用、不採用の理由が分かってるもの3つについて、だったんですけどね。

いずれも、その理由が、自分が想像していたものとははるかに違ってたんですよ。


採用例は二つ。
パソコンインストラクターと、この間の3月まで勤めていた経理の仕事。

インストラクターの方の採用理由はなんと、
履歴書の特技・趣味欄の

「シンガーソングライター(自称)として、ライブ、CVTV出演経験、あり」

というところ(!)

店長いわく、

「なんか、ビビッと、きたんだよね☆」

ですって・・。(え)


でも実際、この店長とは、過去世においても修行僧仲間で、
すごくウマが合いました。
店長自身が音楽が好きで、打ち込み技術なんかもプロ級で。
だから余計に、ビビッ☆ と来たみたいなのです。

正直、過去の経歴とか仕事の出来・不出来は、
あまりその時は考えてなかった、とのこと。^_^;


ただ、この仕事は、ほんとーーーに、「天職だ!」と思いました。
仕事って、こんなに純粋に楽しめるんだ!!って初めて思えた仕事。
パート勤務だったので、家の経済事情で続けられなかったんですけど。。

履歴書に歌のこと書いてよかった〜〜っ!と、後から聞いて思いましたね(笑)



経理の方は、

実務未経験なら、会社側の指示に従ってくれそうだし
ヘタに知識とか経歴とかあると、あれこれ口出しされそうで面倒だし、
過去に様々な職歴があるから、放っておいても自力でなんとか
やってくれるだろう、

と思ったとのこと。

その時、公認会計士1級の方も応募されてたみたいですが、
そんなエキスパートはいらん、ということで
私に決めたらしいです(汗)



で、最後に不採用の会社。

知り合いのツテで、某建設関係の一般事務に応募。

あとからその知り合いから、ゴメン・・と知らされたのは、

ただ上から指示されたことだけを黙ってやってくれるような
若い事務員が欲しかった、とのこと。
過去に改善事例があったり、意欲的に仕事をやりたい、というような事務員は、
過去に採用の例がない、とのことでした。(ガーン


○○ ○○ ○○


普通、就職活動していて、転職ノウハウとかいろいろ調べていても、
いかに自分の能力を効果的にアピールするか、というようなことばかりが
取り上げられていますし、
実際自分でも、自分の能力を最大限に伝えられるべく、具体的な実績や成功例などを
盛り込みますし、
そしてまた、企業側も、有能な人材を取りたいだろう、と思っていました。

今も、そういうつもりで、活動してましたね、そういえば。


が、実際フタを開けてみると、
それとは真逆の理由で、採用・不採用が決められてたりすることも、あるわけで・・。


実績が仇になることもあれば、
実績がないことも救いになったりするのね。。

また、「芸は身を助く」 もアリ、か・・。




ああ、頭が固くなってたかなあ、自分。

それを思い出せ、ということデスカ・・?


何が何でも、有能でなくては打つ手なし、ということでは
ないんだろうなあ。


私、専門的な技術も職歴もないし、手に職もないし、
今の転職事情に見合う資格も持ってないし、
転職支援サイトからはことごとく、過去の職歴では見合う求人ありません、との
連絡ばかり。。
まるっきり実力不足で、一体どうやって乗り切ろう・・・って、思ってました。。


でもそもそも、何を持って、「有能」って、いうのかしらね。


世の中のニーズなんて、星の数だけあるんだものね。


自分では思っても見ない一面が、誰かのニーズにマッチすることも
あるんだものね。


そうさ、自分には、無限の可能性が、あるんだものね。

まずはそれを、信頼しないと、ね☆


ここまで書いてきて、思った。

冒頭の「パワー」について。


精神力、信念、集中力に加えて、もういっこ。


柔軟な楽観力、も、ね☆


と、自分にエール。



よーーーし、今日はこのぐらいに、しときますか(笑)




また明日から、頑張ります♪


カムナガラタマチハエマセ


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宝を紐解いて思うこと
前回記事の続編です。


Sさんからの手紙を改めて読み、今の自分と重ね合わせながら
あれこれ思いをめぐらせていて、いろいろ思うことがあった。


当時の彼女は、まだまだヒヨッコ(卵にすらなってないかも・汗)だった私から見ても、
常に全力投球で、それが少々無理してるように見えた。

「女が認められるには、男以上の努力が必要や」

というのが口癖だった彼女の働く様は、見ていてなんだか苦しかった。


もっと力を抜いても、いいのに・・・。


そんなふうに思っていた彼女から、
私は例の手紙で、

「みずき、もっといい加減でええんちゃう?
 仕事もすごく一生懸命だし真面目だし几帳面だし・・・
 でも、そんな完璧じゃなくてええんちゃう?」

と言われ、当時の私は、

「確かにそれは自覚してるけど、え、あなたがそれ言う?」

と、すごく不思議な気持ちがした。



まさしく私たちは、「鏡」だった。


でも、「鏡」だからといって、すべてが同じ、というわけじゃないんだよな、
ということを、昨日改めて感じた。


性質は同じものを持っていて、お互いに自分自身の姿を映し合っていても、
魂の熟し具合とか、歩みの速度、立ち位置は、やはり人によって違う。


少なくとも、あの時彼女に見えていたものは、
当時の私には まるで見えていなかった。

そのことが、今なら実によく、分かる(苦笑)



例えば・・。

彼女からの手紙の中に、
当時の私の日々の言動から彼女が感じたことがあったらしく、
私に対する助言があった。

みずきは○○じゃないのか。○○と思ってるんじゃないのか。
だけど、自分は○○であるべきやと思う。
もっと○○したらいいと思う。


というような感じで。


今読み返せば、まぎれもなくそれは正解で、私の奥深いところにある欠点や課題を
すごくシンプルに、適切に、そして愛を持って指摘してくれていた。

だけど、当時の私は、自分自身をそこまで深く客観的に見ることができておらず、
彼女の言わんとすることの意味が理解できず、
なぜそんなことを言われなければいけないんだろう、と思い、

「いいや、自分はそうではない!」

と、心の中で反発していたのを覚えている。



お互い「鏡」ではあっても、見えている世界が、あまりにも違いすぎた。

仮に彼女が世界の七海を見ていたとしたら、
私はせいぜい、自宅の家の池、ぐらいのものだ。



ただ、今回ふと、思った。


七海を見ている人が必ずしも、家の池しか見えてない人よりも
すべてにおいて見えてるわけでもないのでは、と。


例えば、家の池しか見えてない人だからこそ見えるものが、
逆に七海を見てる人には見えてないことも、時にはあるんじゃないか、って。


家の池、という狭いポイントに焦点を当てて見てるからこそ、
池については理解が深くて、

逆に七海を見てる人は、案外自分の家の池の濁りに気づかなかったりして・・。


で、家の池を見てる人から、

「もしかして、あなたの家の池、濁ってません?」

と助言をもらうことも、あるかもしれない。


そういう時に、

「いや、私は七海が見えているんだから、そんなはずはないじゃないか。
 キミはまだ、家の池しか見えてないんだろう?
 そんなキミに、分かるはずがないじゃないか。」

と、思うのか、


「あ、それは気づかなかった、ならば早速確かめてみよう。
 遠くばかり見ていて、自分の足元が見えてなかったかもしれん。
 よく言ってくれた、ありがとう。」


と思うのかでは、
その後の進む道は、大きく違ったものに、なるよなあ・・と思った。



実は最近、当時のSさんの立場、当時の自分の立場というものを
合わせ鏡のようにして実感させられたことがあったので、
とてもいろいろな思いが、身にしみている。



私は、七海も見えつつ、家の池も省みれるような人でありたい。

それが目標。(ひえ〜、言っちまった・・汗)



まだまだ七海を見渡すには到底道のりは遠いけれど、それをあきらめたくはないし、
少なくとも、自分の家の池くらいは、いつも澄んだ状態に保てる人でありたい。

これが思いのほか、難しいのだけど^_^;




カムナガラタマチハエマセ



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「宝」のリレーは時空を超えて・・!
今日、今から7〜8年前に勤めていた職場の元先輩から
当時もらった手紙を読み返していた。


彼女はSさん。
私は彼女の部下として、一緒に仕事をさせてもらった。

Sさんはまるで、火の玉みたいな人だった。
すさまじいエネルギーの強さで、周りを圧倒してた。

女性がなかなか職場で活躍することが難しい製造業の会社で
その常識を打ち破り、ただ一人、女性役職者として
その才能をフルに発揮してた。

だけど、そのための努力やエネルギーの使い方はハンパなく、
また持ち前の他を圧倒する「強さ」から、
周りの男性社員たちは、相当【ゲンナリ】していたようだ(苦笑)


私たちはとにかく、ウマがあった。
お互い同じような性質があることを、お互いに認め合っていて、
もちろん私にとっては上司だったんだけれど、
なんというか、「戦友」のような関係性を感じていて、
毎日が毒舌合戦(笑)、すごく楽しかった。

多分周りは、「ああ・・Sが二人に増えてしまった・・」
と、ウンザリだったことだろう(笑)


しかし、当時私は、精神疾患を完治していなかった。

まだまだ通院中で、医者が止めるのも聞かず、
フルタイムの超ハードな仕事(しかも未経験)だったため、
案の定、病気がぶり返してしまい、
ついには会社をやめざるをえなくなってしまった・・。


退職した後、私からSさんに向けて、お礼の手紙を送ったところ
やや遅れて、Sさんから返事の手紙をもらった。



彼女らしい、彼女の想い全てが込められた、
「超直球ストレート&剛速球」の手紙だった。


そこには、私に対する熱い思いと、
彼女が感じていた私の「課題」についての思い、
そして私が病気だと承知の上で、それでも「強く生きる」ことの大切さを
熱く語ってくれていた。



ただ、当時の私には、その彼女の直球は
あまりにもエネルギーが強すぎて、とても受け取る余裕も力もなかった。

その手紙に対して、返事をすることもできず、
ひたすら病と向き合うのが精一杯だった。


当時は、その手紙も彼女のことも、思い出すのも辛かったんだけれど、
なぜかその手紙だけは、捨てられずにいた。


あれから今日までの間に、何度か彼女の手紙を読み返すことがあった。

その時その時で、感じるものは違った。


当時のように胸が苦しくなることはないものの、
やはりチクッと胸が痛くなるのは、変わらなかった。


☆☆ ☆☆ ☆☆



今日、今自分が抱えている問題とかなり真剣に向き合っていたとき、
ふと、彼女の手紙を思い出した。


改めて読んでみると・・・


彼女は、まさに、今の私そのもの だった。



彼女が何を私に伝えたかったのか、
それが今なら、分かりすぎるほど、分かる・・・。

それは、今私が、仲間を通じて共感していることや、
生きていく上で大事にしたいこと、
そして、こうしてブログやmixiで、日々語っていることだった。



一足お先に、彼女は自分自身の人生を通してその大切さを実感し、
自分の妹のように想ってくれていた私に、
そのことを分かってほしかったのだ。



「強く生きる」とはどういうことかを、


「誰にでもある自分の弱さ」や「守りたいもの」を真っすぐ見つめることをせず、
 何か違う表現でごまかすことの卑怯さを、


「病気(課題)」と本当に真剣に向き合わなければ、
 本当の意味で「病気(課題)」は 治らない(越えられない)、ということを・・。



確かに、当時の病の私にその真意を理解させるのは、適切な方法ではなかっただろう。
むしろ、逆効果と言えるかもしれない。


でも、私の魂は、確かに何かを感じたんだろう。
だからこそ、ずっと捨てきれずに、大切に取ってあったんだ。



真剣な想いは、時空を越えて、必ず届く。


受け取る準備が出来たら、必ずそれは、届く。





今私がおかれている立場と、当時の彼女は、
まさしく同じだった。


今、私にも、彼女と同じように
想いを受け取ってほしい相手がいる。



今日読み返してみて、涙が止まらなかった。



彼女もまた、傷だらけの人生を歩んできた人だった。

だからこそ得られる宝を、彼女は既に手にしていて
その宝を、私にも受け取ってほしかったんだと思う。


受け取る準備が出来たものから、その宝は受け取ることができる。

そして、受け取ることが出来たものから、またそれを誰かに贈る。

こうして 「宝」 は バトンタッチ されて 巡ってゆく。


いつしか 世の中が 「宝」 で満たされることを願って、

今日もまた、 どこかで 「宝のリレー」 が 行われていることだろう。




最後に、彼女の手紙から、心に響く文を抜粋してお送りします。



・(自分は)傷だらけの自分を誇りに思い、傷の癒し方を知っている喜びを感じている。


・逃げ道はあっていい。八方塞りじゃ苦しくて生きられん。
 でも、逃げないってことと、楽な道を選ぶ事は違う。


・優しさは、見えないところに隠れてる。






彼女の愛に、心から感謝を込めて・・。



カムナガラタマチハエマセ


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夢日記☆ 自己分析みたい
今朝の夢メモです。

+++++++++++++++++++++++++++++++


数年前に務めていた会社に、見学がてら遊びに行く。

※その会社は、私にとってはホームグラウンドとよぶべく、
 伸び伸び自由にさせてもらえた会社で、今でも交流があって
 大好きな仲間たちがいる場所。



そこには新しい部長さんがいて、私は初対面だったんだけど
私はその方がとても大好きで、始終その方のそばにいて
いろいろと案内してもらっていた。

その日は会社では、何か特別な「行事」が行われていた。
体育祭というか文化祭というか、そんな趣。

できることならばずっといたかったけれど、そうはいっても
私はもうそこの住人ではないので、
そろそろ帰らなければ・・・。

結局、以前仲良くしていた方々とは、一度も対面することができず
名残惜しい気持ちでその場を離れた。

帰り際に、なぜか、小さな鉢植えの植物と鳥の卵をもらった。
その鉢植えの上で、卵を育てるように、と。


☆☆☆ ☆☆☆


部屋を出て気がついたんだけれど、
そこは地元の高校だった。

私が通っていた高校ではなく、同じ町にあるもうひとつの高校。

 ※ちなみに、私の母校は、元男子校。
 今回夢で訪れた高校は、元女子高。

 私たちの時代にはすでにどちらも共学高になっているけれど、
 やはりその性質は違うものがある。

 で、この「違い」が、今回の夢でも大事なキーになっている・・?と
 思っている。それは後ほど解説で・・。


 夢で見る「高校」とか「学校」っていうのは、

 「人生におけるステージ(段階)」

 を象徴していることが多い。



 今回もまさにそういう実感があった。

 ちなみに、今回いた高校は、
 「自分が既に卒業したステージ」という実感があった。




で、なんというか・・・今回の訪問は、「派遣」という意味合いが
あって、今自分がいてよく知る場所ではないために、
玄関に続く道が分からず、校舎内をうろうろと迷ってしまった。

途中、懐かしい旧友の顔ぶれに出会い、
「あれ!久しぶり!」
なんて、声を掛け合ったりしていた。


そして、ある廊下に出ると、
そこでは吹奏楽部の部員たちが練習をしていて、
SAXのパート練習に遭遇した。


私は中学・高校と吹奏楽部でSAXを担当していたので
大変懐かしかったし、なぜかそこにいたのは、
自分の後輩たちだった。

パートリーダーを勤めていたのは、なぜか「安田美佐子」さん(笑)
でも、夢では、自分の後輩という設定だった。

彼女が、私にどうしても聴いてほしい新人がいる、という。
今年入部した一年生らしいのだが、ものすごい技術で、
安田さんは、自分もこんなふうに演奏してみたい!という。


早速聴かせてもらった。


確かに、ものすごかった。
新人とは思えないほどの技術はもちろんだが、
スタンディングプレイで、片足を斜め前に出し、ポージングを取りながら
パフォーマンスをまじえた、ダイナミックな演奏。


ただ、私がその時感じたことは
結構シビアなことだった。


確かに、このコの先天的な才能は素晴らしいけれど、
まだまだ荒削りで、もっともっと洗練される必要がある。
それに、先ほど見せてもらったプレイの仕方は、あくまでも「ソロ」としてしか成り立たない。

「吹奏楽部」としてプレイするには、もっと周りと協調した演奏の仕方を学ばなければいけないし、
それをまだこのコは、理解できていない。

だけど、底に秘めた天性の才能は、かなり独自性があって
最終的には「ソロ」として活かすべき。

そのためにも、今は、それを最大限に活かすために
周りと協調した演奏の仕方を始め、いろいろなことを身につける必要がある。


私はそのコの名前を聞き、名前を呼びながら
今感じたことを伝えた。
そしてそれを、安田さんにも伝えた。

安田さん自身も、先ほどのことを十分に理解してはいないように思えたし、
パートリーダーとしても、それは必要な自覚だと思ったので。


すると今度は、ほかのメンバーにも
同じようなアドバイスをくれないか、と頼まれる。

他のコたちは、今度は演奏ではなく、なぜか「絵」を見せられる。


一人のコの絵に注目する。
それは、紫色で書かれた自画像。


 ※実は、私自身、中学時代の美術の時間で、紫色の濃淡だけで自画像を描いている。
  私たちの中学校は、卒業生は全員、
  自由な画材で自由な画風で自画像を描くことになっていたのだ。



私も昔ね、紫色で自画像を描いたことがあるんですよ〜、
なんていいながら、何かアドバイスをしていたけれど、その内容は忘れてしまった(汗)



あと、うっすら覚えているのは・・・

男性が出てきた。

その男性は、私の閉じた心を、一生懸命開こうとしてくれていた。
「閉じた心」というのは、性的トラウマにほかならない。

男性が誰なのかは覚えていないんだけど、特に知っている人、という意識はなかったけど
大変魂的に親しい人、なんだろうな、ということだけは感じていた。



+++++++++++++++++++++++++++++



今日の夢は、今の自分自身の調整や、見つめないといけないこと
そのもののような気がする。

自己分析の夢、とでもいうのかな。。


SAXの新人に対しての見解は、なんか自分が自分を見つめて分析して
声をかけてるみたいだ。
才能はともかくとして、課題の部分なんかはまさしく、だな(ははは・・・)

夢でアドバイスしている「私」は、ハイヤーセルフで、
新人さんや安田さんは、今の私自身、だったのかな?



最初の会社訪問は、多分、自分自身のエナジーチャージ、里帰り、かな。
あ、そういえば、その会社の本社は「諏訪」にあるんですよ。
また「諏訪」だ・・・。


あと、最近、「鳥」が出てくる。
以前も、足の裏から青い鳥が産まれたし・・。

今回も、鳥の卵をもらった。

ちょっと意外だな。。



そうそう、それと、最後の 「性的トラウマ」に関することも。

ちょっと話が前後するけれど、
今回夢で訪問した高校は、「元女子高」の高校だった。

私が通っていた高校とは、現実でも雰囲気は大分違うのだけれど、
夢の中でも、「元女子高」ゆえの、「女性性」を感じる雰囲気が
とても新鮮だった。

で、自分にとってはあまり馴染みがない、と感じたり、
落ち着かない気持ちでもあり、
でもそれを、知る必要がある、と感じてもいた。

「既に卒業したステージ」という感覚とあわせると、
どうやら私は「女性性」に関する学びを、過去に忘れてきてしまったんじゃないだろうか。

だから今、それを取り戻さないといけないんだろう。




最近、夢の中で、毎日入れ替わり立ち替わり、「男性」が出てきます。
そして、大変熱心に、情熱的に、
私に何かを伝えてくれたり、私の心を開こうとしてくれています。

それに共通しているのは、やはり 「男女関係」 にからむことなんですね。。


ふむ・・。



それにしても、今回の夢は、大変勉強になりました。
真摯に受け止め、自分自身の課題クリアに繋げていきたいと思います。



カムナガラタマチハエマセ


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くどいですが(^_^;) 「人は鏡」
6月以降、私生活において
大変濃厚な出来事があり、それらを通して
たくさんのことを教えていただきました。

その中で、今も尚、強く実感していることがあり
それを今日は綴ってみようと思います。

実に当たり前の、今更なことばかりですが、
何度確認しても、確認しすぎることはないのでは・・と思います。


+++++++++++++++++++++++++++++


「人は鏡である」


どうでしょう。

もう、聞き飽きましたか?(笑)


耳にタコが出来すぎて、頭の上を素通りしてしまうよ・・┐(´ー`)┌


・・・と、私はこれまで結構、何度もそんな心境を繰り返していたように思います。



でも、今更のように、このことの重要性を、


「まだ分からないの?」

「もいっぺん、よーく、噛み締めてごらん!」

「さあ、さあ、さあ、さあ!!」



といわれるかのごとく、いろんな体験とともに、
私の中で、ずずーーーいっ☆ と、迫りくる迫力に
最近、観念したわけです(笑)



人の魂は、速度に差こそあれ、日々変化・進化してますよね。

そもそも私たちって、魂を成長させるために、この世に生きているわけです。

で、そのためには、自分自身の魂の成長度合いの確認作業って、
どうしても必要になります。


思うに、2パターン、あると思うんですよ。



ひとつは、今現時点の、自分自身の姿を確認すること。

もうひとつは、本来あるべき、自分自身の姿を確認すること。
つまり、「ありたい姿」ですよね。


で、この2つを確認するために存在してくれているのが、
日々関わり合う人たちであったり、日常生活の出来事だったりするわけです。



わあ、この人って素晴らしい!
共感できるなあ♪
これ、自分は好きだなあ♪


と、ポジティブに感じるものは、
自分自身の光の姿であり、自分でも納得している自分の姿でしょう。

まあ、これは誰しもが、すんなり受け入れられると思うのです。


問題は、その逆パターンなんですけど、


なんであの人はこうなんだろう。
もう少しこうであればよいのに。
私はこういう考え方は受け入れられないなあ。
こういう世界観は、自分とは違うなあ。


など、ネガティブに感じるものは、
どう捉えたらいいのか・・・? というところが、
奥深いなあ、と思うわけなんですが。。


これも2パターン、ありそうだなあ。。と思うんですね。


ひとつは、まさしく自分自身の課題として。


人様について、ああすればいいのに、こうすればいいのに、と思うことは
まず例外なく、自分自身に当てはまることですね。

ようは、自分自身に対して、

「ああすればいいのに、こうすればいいのに」

と、言ってるわけです(笑)


少なくとも私はこれを、しつこいくらいに
 「認めなさいっ!!!」 
と、迫られました(笑)


これは、「今現時点」の自分の姿の問題点を確認するためのものですね。


これはきっと誰しもが実感してることと思いますが、
簡単なようで難しいですね。

人って、いとも簡単に、自分に都合の悪いことは忘れてしまえるものですし、
都合よく「例外」を作り出してしまうもので(笑)


もうひとつは、「ありたい姿」を再確認するためのもの。

自分とは違う価値観を感じたりした場合、
そのことによって、改めて、自分の目指すものだったり
自分の在りたい姿が、浮き彫りになります。

だからこれも、結局のところ、「自分自身の確認作業」ということになるわけです。


というわけで、「人は鏡」。

良い面も悪い面も、「自分自身の姿」を、
いろんな方向から確認するための、「別の姿をした自分」、なんですね。



と、当たり前のことを書いてきましたが、
これが、理屈の上の理解でとどまっているのか、
本当に身になって理解しているのかは、
その時の反応によって、全然違うなあ・・・ということを
最近つくづく実感したんですよね。。


理屈のみの理解から一歩進むと、
自分とは共鳴しないと感じるものを見たり体験したときに
まず、否定や批判や怒りなどの感情は、生まれないですよね。


もし、そういった感情が生まれるとしたら、
やはり本当の意味で、「人は鏡だ」とは思えていない、ってことに
なるよなあ・・と。


そこんところは、自分をごまかすことなく、
よーーーーーーく、見つめる必要が、あるように思いますね。




例えば相手に、自分自身の「課題」を見た場合、


ありゃあ〜〜、・・まいったね(汗) ┐(´ー`)┌


と、自分にフィードバックされて、
頭、ぽりぽり、汗、たらり、みたいな感じです。

あはははは・・・(~_~;) と、苦笑いなんかもしたりして・・。


いや、笑い事では、ないんですけども。


たまに(結構?)、穴があったら入りたいっ!!(ひ〜〜っ) と
自分自身を豆粒みたいに小さくしてしまって、
木のうろの中に飛び込んでしまう自分がいたりもしますが(汗)




また、「ありたい姿の再確認」ができれば、

よっしゃ、がんばろ♪ と、またひとつ前向きになれる気がする。



で、いずれの場合も、しみじみとした
ありがたい気持ちが、じんわりと生まれたりして・・。
それは、相手にも、自分にも。



で、意外な感じがしましたが、
大げさな気分の高揚ってのはないんだなあ。と。

淡々、しみじみ、としてる感じがします。


「自分自身の確認」なので。

目の前にいるのは、「自分自身」なので。



自分チェック、させていただきました。
ありがとうございました。(三つ指ついて、深々とおじぎ)


みたいな感じです。



こういう感覚、「人は鏡」ということが頭の上を素通りしていた頃の私には、
なかったんです。。



もちろん、人それぞれ、
理解の仕方や感じ方って、違うと思うのですけどもね。




でも、少なくとも、今感じるのは、


「みんな自分なんだから、落ち着いて構えていれば、いいよね。」


という、ある種の「安心感」みたいなものです。




とはいえ、はあ〜。。
これの理解については、ワタクシ、歩みの遅い亀さんのようです〜(^_^;)

これからも、何度も何度も、確認しながら
歩いていくんだろうと思います。

過去に一瞬、こういう心境に至っても、また後戻りしてしまって、
もう一度やり直し、なんてことの連続です。

何度も何度も繰り返し実践を重ねて、この感覚を自分のものに
していくのでしょう。



が。


これが楽しいのですよね♪



はい、今日も楽しく、まいります♪



カムナガラタマチハエマセ


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光と闇の捉え方
6月13日。

共にカムナガラの道を歩む大好きな仲間が
私の住む町を訪ねてくださり、とても中身の濃い、
100万年分くらいの時間を過ごさせていただきました。

そこでの会話と、その後その方からいただいたメッセージによって
思いもかけないほど大きな「悟り」を、いただくことになりました。

今はまだ、その「悟り」は、今まで理屈として理解していたものが
胎に落ちた段階。
これで終わりではなく、大切なのは、これが「自分自身」と同化し、
実際の行動となって顕れることですので、まだまだ入り口なんですが
大きな転換点として、綴りたいと思います。


テーマは、「光」と「闇」の捉え方 です。

以前から継続して取り上げ、向き合っている テーマ です。

+++++++++++++++++++++++++++++++



私は長いこと、「光」と「闇」の関係性を、次のように捉えていました。


 
 「光」は「闇」よりも 優れている

 ゆえに、優れている「光」によって、「闇」を「光」へと 転換しなければいけない




この「光」を、自分自身、 「闇」を、心当たりのある人物 に
置き換えていただいても かまいませんし、
日常生活の衣食住、いろいろなものに置き換えることが 可能かと 思います。



また、「光」(自分)と「闇」(相手)は、別の存在 である と捉えていたため、

「闇の攻撃」 = 「外からの攻撃」

だと、長いこと 思っていました。



その挙句、私は今年の3月、その「闇」から
それはもう、大変厳しい「試練」をいただくこととなり、
1週間、死の恐怖を 味わいました。

ご存知の方も、いらっしゃることと思いますが・・。



その原因は、ひとえに 自分自身の 「驕り」 です。


その「驕り」とは、さきほど述べた、

 「光」は「闇」よりも 優れている

という発想です。



この考え方を矯正させてくれたのが、「母」との学び でした。


私にとって「母」とは、長いこと「闇」の象徴でした。

やることなすこと、すべてにおいて、私が目指すものとは真逆でしたので。。
どうしても受け入れられず、「敵」とすら認識していたように思います。


ところが、その関係性は徐々に変化を見せ始め、先月の江ノ島イベントをきっかけに
母(闇)の存在は、私を鍛えてくれるためのものであり、
母(闇)なくして、今の私自身はありえない、
と、心底思えるようになりました。


この変化が、今回の悟りに、大きく貢献してくれたと感じているのですが、それは
後ほど説明したいと思います。


ところでここ最近、連日のように、「闇」の夢を見ます。

具体的な内容はハッキリとは覚えていないものの、
すべてにおいて共通しているのは、

「恐怖感を伴う」

ということでした。


目が覚めた後、なんともいえない恐怖感が、全身を襲うのです。

もちろん、「闇」に対する恐怖感は、これまでもずっとありましたけれどもね。

特に、3月の体験がフラッシュバックすると、
二度とあんな思いはしたくない、という恐怖感も、またやってくるわけです。



で、夕べもまた「闇」の夢を見て、恐怖感と共に夜中に目が覚め、
ふと携帯からmixiを見ると、昨日逢った仲間からメッセージが届いており、
それを読みながら、再び「闇」について思いをめぐらせていたとき、


あれっ!?


と、ひらめきが全身を貫き、闇の象徴であった「母」との関係性と
一気に結びつき、
その「恐怖感」が消えていったんです。



「光」と「闇」とは、オセロのようなもの。

 背中合わせの 白 と 黒。


その質量も、立ち位置も、 まったく同じ、ですよね。


そこに、「優劣」 など、ないわけです。


そして、どちらも、「オセロ」という自分自身を構成する、
裏と表の側面にすぎない、ということですね。

当たり前のようですが、光も闇も、自分自身そのもの、なわけです。


ただその性質が、違うだけ。



そうすると、「闇が攻撃をしてくるから恐い」 という発想そのものが

まったくナンセンスであることに気づいたんです。


「闇」は自分自身、なわけですよ。

自分自身を恐がる人が、いるでしょうか?



「闇」を敵対視したり、劣ったものとして視ていたり、
自分とは切り離された個別のもの、と視ていたりするから、
「攻撃される」ように感じ、そこに恐怖感を感じるんじゃないだろうか・・。


でも、「闇」は自分自身そのものであり、自分のもつ「光」とまったく同質のものであり、
「闇」があってこその「光」なのだ、ということが理解できると、
そこに 「恐れ」 はなくなります。

少なくとも、感情の上で、私は恐怖感がなくなったんです。

これからそれが、実際にどういう形で証明されるのかは、分かりません。
いざ事が起きた時に、どう自分が反応するのか、それが大事なんでしょうけどもね。


でも、ひとまずこれまでの自分からは、一歩前進したのかな、と思えました。


その視点でこれまでを振り返ると、いろいろな方が散々示してくださってきたこと、
なんですよね。


光と闇は表裏一体

闇とは己の心


何度耳にしたことでしょうか。

その意味を、私はやはり、表面的にしか理解できていなかったんですね・・。



この心境に至るには、
私にとっては、大変厳しく長い道程でした。


このポイントは、今後歩む上で、大変重要なポイントだと思うのですが
人それぞれ、到達速度も違うことだろうと思います。


既にそれを十分理解し、実践に移しておられる方もたくさんいらっしゃるでしょうし、
これからそこに向かっておられる方もいらっしゃるでしょう。




これから向かわれる方にとっては、
その道程も、いくつものルートがあるだろうと思います。


私は、もともと「我」も「業」も強い魂だろうと思うので、
それだけそぎ落とさなければいけないものも多く、
数あるルートの中でも、一番険しく危険な道を、長い時間をかけて
歩いてきたんじゃないだろうかと思います。

そうではない方は、もっとスムーズに、歩まれるかもしれません。



ただ、いずれにしましても、その道程の渦中にある方は
「闇」という存在に対して、きちんと対処の術を身につける必要があると思います。

それが、アルク隊長やいろいろな方が教えてくださっている、
真言・祝詞だと思います。


つい先日、アルク隊長がブログの中でご紹介くださっていた公開ブログ、
「老翁のミロクシリーズ」でも、
まさしく「不動明王真言」について記事を書かれておられました。


その中に書かれていたことの意味が、ああ、そういうことだったのか!と、
今ならよく分かる気がします。

是非ご一読くださいませ。

http://rouousaniwa.jugem.jp/



ただ、くどいようですが、

「真言を身につけることで闇に対処すること」 

が ゴールではありません。


山登りに例えたとして、
「闇=自分自身」を理解し、「闇」への恐怖心がなくなる地点を目指す場合、

どんなルートを辿るにせよ、
道中、雨に降られたり、風にあおられたり、雷に驚かされたりすることが あろうかと思います。

そんな中、まったく無防備で何の準備もなく、丸裸で進む人はいないでしょう。
雨風から身を守る仕度を整える必要があります。

その仕度のひとつが、「不動明王真言」である、といえるのですよね。


その上で、ひとまず目指すは、「闇=自分自身」の理解地点。

そこから先は、また違った視界と世界が広がるのでしょう。
私には、まだそれは分かりません(^^ゞ


この今いる地点で感じるものを、しっかりと自分自身と同化させ、
すべての事象において、同じ視点で視れるよう、動けるよう、
噛み締めながら、登っていきたいと思います。


カムナガラタマチハエマセ



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初めてのご対面かな・・・自分の中の男性性
今日、とてもとても 些細な 出来事かもしれませんが

私個人にとっては、もしかしたら とてもとても

大切な出来事なのかもしれない・・?


そんなことが ありました。


夕方、愛猫と一緒に、ベッドで少し目をつぶって横になっていたときのこと・・・。


突如、 ある男性のイメージが 現れたんですよ・・。


その男性は・・・ なぜか、 「私」 なのです。


なぜ 「私」 なのか、説明できないんですが、

でもやはり、「私」 なんです。。



その 「男性」 は、とても素敵で (・・って、自分で言ってて こっ恥ずかしいですが・汗)

私が思う、理想的な 「男性」 なんですよね(笑)

あ、もちろん、実在の人物ではなく、まったくイメージとしての 「男性」 です。

自分の希望、でもあるのかも、しれません。


でも、その 「男性」 が、私をとても 愛してくれているのです。

私に向かって、「愛情」を 一生懸命 伝えてくれるのです。


私もそれが嬉しくて、一生懸命 受け取ろうと、感じようと、していました。。




もしかしたらその男性は、私の 「男性性」 なのかも・・? と 思ったのです。

とにかく、こんな体験は、生まれて初めてでしたが、
そういうことがある、っていうのは 以前から聞いてはいました。


自分の中の「女性性」が解放されると、今度は「男性性」が現れる・・・と。


こういうことなのかしら・・?


なんだか分かりませんが、そのせいなのかも分かりませんが、

とてもとても、満たされた気分です。


もちろん、これはほんの入り口・・・という実感もあります。

これから何度も、この男性のエネルギーが、私に働きかけてくるような
そんな予感も、あります。


最近は、本当に、初めて体験することや、面白いことばかりです。

23日以降、急速に変化してます。


そういえば面白いのが、我が家の愛猫、23日の数日前あたりから急に
私の部屋で毎日過ごすようになったこと。。
暇さえあれば、ベッドの上で寝てます。今も寝てます(笑)

それまでは、まったくといってよいほど、私の部屋で落ち着くことは
なかったんですが・・。


ちょっと嬉しい(笑)




♪ なんでもないようなことが〜 幸せだったと 思う〜〜 ♪

と、歌にもありますが、
毎日、それこそ 何でもないようなことが、幸せだと 実感してます。


でも、ここ最近、一番嬉しいのが、
身体の中心を感じられること・・・かな。

ここに意識を向けると、すごく、すごく、安心する・・。

自然に深い呼吸になるし・・・。


そして、前回の記事で書いたように、尾てい骨の上側のポイントを感じると、
そこから力強い力が沸いてきて、全身に広がるの・・。

そこは身体の下側にあるから、安定感も感じるし、
やっぱここって、第二チャクラなのかな・・。

何かが「産み出される」ような、力強さを感じる・・。


心地が良い・・゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆



さ、明日も頑張ります☆


おやすみなさい゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆




カムナガラタマチハエマセ



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産土神社参拝 〜受け皿になりなされ〜
昨日、6月3日の夕方あたりから、
身体の中心が大変反応し、心地良くも力強い下向きのエネルギーを
感じておりました。

脳天〜眉間〜鼻と、尾てい骨のやや上側の平らなあたりに
強く感じていました。

なんだろうと思っていたら、昨日は 白山 九九理姫様の日、ということで
エネルギーが降りていたようです。

そしてそれは夜の間も続き、背骨のラインの調整があったみたいでした。


さて、今日になっても、まだ尾てい骨の上側、ちょうど腰骨のラインのお尻側の
ポイントにエネルギーが集まっているような感覚が続いていて、
これをどうにかしたかったんですね。

部位的には、第二チャクラになるんでしょうか・・?


で、お昼を食べてから、ちょうど買い物に出かける用事があったので
どこか適当なところでウォーキングでもすることにしました。

ひとしきり用事を済ませ、さあどこへ行こうかな、と車を走らせていたんですが
結局地元の街へ帰ってきてしまい、とあるドラッグストアで車を止めました。

そこでも買いたいものがあったので、買い物を済ませたんですが、
せっかくウォーキングするつもりで出かけたのに、このまま帰るのもなんだかなあ・・と
思い、そのまま車を止め、そこからてくてく歩くことにしました。


そして歩き始めたら「おや?」と。

そこは、数日前に参拝した「大御食神社」のすぐ近くだったんです☆


あら!ここに繋がるんだったのか・・。

ならばご挨拶に伺うことにしよう、と、ウォーキングをかねてお参りすることにしました。


■ご祭神

 熱田大神
 宮簀媛尊
 誉田別尊


ひふみ祝詞ビッグバンバージョン三唱
神々様の弥栄奏上
前回から今日までのご報告、今日のお導きのお礼


そして、なぜか今日は、いつもとは少々気分が異なり、
とても具体的なお願いをしている自分がいました。

それは、これからすることになるであろう仕事(まだ決まってはいませんが)によって
地域の人々が楽しく、幸せに暮らせるような循環型の社会作りのお手伝いが出来るよう、
そのお導きをお願いしました。

そして、天地の弥栄奏上。



ご本殿を背にして立つと、ふいにビジョンがやってきました。


頭上はるかかなた天から降りてくる、大きな大きな下向き三角形の器。
両手を上にYの字に伸ばしたくなるような感じ。
その両手で、エネルギーを一杯受けるようなイメージとともに
メッセージが届きます。


 受け皿になりなされよ


受け皿に・・?

それはどういうことでしょうか?


問い尋ねると、その意味がインパルスみたいに
降りてきました。

それは、今後の実生活における歩み方を
示してくださっているようでした。

解読しますと、


 この世の中は、秩序や道筋が必要。

 雑多に溢れるエネルギーを、秩序を持って循環させるには

 まずはエネルギーの受け皿が必要。


 その受け皿になりなさい、とのこと。


 エネルギーは様々。

 人の思いや、天の思い、自然の思いなど。


 受け皿で受け取ったものを、

 清い流れと循環が産まれるように、流してゆく

 その流れが 金の道 となる



とのことでしたが・・・。


うーん、漠然としていて、言われた意味は分かるものの
具体的に実生活でどう落とし込んでいけばよいのかは
難しい・・・。


そして、もうひとつイメージがきました。
漢字の 「八」 です。


取り込んだエネルギーが、八方に広がっていくのですが、
漢字の八の字のように、両斜め下の方向に、より強く意識が働きました。




さて、境内の中に林があるんですが、
そちらの方向に歩きながら、ひふみ数え歌を歌っていました。

すると、ミルキーな水色のエネルギーが天地を結ぶラインとなって
伸びているようなイメージが視えます。

そして、その水色は、細かな金色の粒子をまとっていて
そのコラボレーションのなんと美しいこと!

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
 ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
  ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


また、そのエネルギーはなんていうんでしょうね、
とっても 優しくて優しくて・・・。

柔らかさ、素直さ、温かさ、かわいらしさ、
そんな質の優しさを持っていて、

「友達」「仲間」

というような、そんなエネルギーでした。


そのエネルギーと共に、もう一度ご本殿の前あたりに戻ったとき、
なぜだか分からないんですけど、

「少彦名大神様」

が脳裏に浮かんだのです。。



?? なぜ ??



ここのご祭神ではないんですが、でもなぜか弥栄奏上をしたくなり、
手を合わせ、少彦名大神様の弥栄奏上を三唱させていただきました。



すると、先ほどの水色と金色コラボのエネルギーが、
細長いダイヤの形になり、ちょうど剣を上向きにしたような形のものが視えます。
剣ほど金属質ではなく、なんでしょう、クリスタルとも少し違う・・。

そして、それはいわゆる「剣」としての役割というのではなく、
「知恵」や「方法」をサポートしてくれるための働きを持っているようなのです。

で、この細長いダイヤ?と、優しい水色&金色の友達が、今後の実生活の上で
助けになってくださるような・・・そんなイメージが強く伝わってきました。


お礼をし、境内を後にしてからもずっと、
その優しい友達のエネルギーを感じていました。


なんでしょう、すごく柔らかくて、優しい・・。
天使みたいな感じですね。
日本神界の神々様の波動とは、ちょっと違います。
でも、とてもありがたくて、こちらまで気持ちが優しくなってくるような・・。
神社でこんな体験も、初めて・・。


ううう・・ほんとに私、大丈夫だろうか。。(汗)




でも、今日は思いがけず産土神様にご挨拶が出来て良かった。

が、これからの実生活の中で、今日いただいたメッセージを
どう具体的に展開していけばよいのか・・・。


うーん、宿題をいただいた感じです。


そして、きっとその宿題の結果報告(中間報告かな?)をするために、
また、今後も何度か、この神社に足を運ぶことになるのかな・・・?
と思いながら、家路に着きました。


楽しみです♪

頑張ります♪



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闇との向き合い方 〜反省を込めて〜
「闇との向き合い方」・・。

私にとっては、大きな大きな テーマ。

このテーマの取り組みが、
5月23日の江ノ島唄語り行き断念から始まり、
(もっと前から流れは起きてますが、とりあえず区切りで)

テーマのひとつの答えを導くためでしょうか、それこそたくさんのヒントや情報が、
一気に集まり始めました。

で、今やっと、このテーマの自分なりの胎落とし第一弾が出来たかな、という
実感がありましたので
一区切り、ということで記事にしたいと思います。

もちろん、これはあくまでも、入り口に過ぎず、今後も更に深めていくべき
大きなテーマだと思っております。
(相変わらず長いです。スミマセン・・汗)


+++++++++++++++++++++++++++++++++


先日、インフルエンザについての記事の中で、
食品添加物について触れましたが、最近マイミクさんになった方から
違和感を感じる、とメッセージをお寄せいただきました。

それは、記事の中で紹介した書籍の見出しを目にした際、
強烈に食品添加物を否定する印象を受けること、
その印象は、「食品添加物=悪」であるという意識を
与えるものではないのだろうかと。それに違和感を感じる、と。


その方のメッセージをいただいたとき、
大変その方のご意見にハッとさせられ、大変嬉しかったんですね。

というのも、私自身、その書籍の見出しにはマイミクさんと同じような
危惧を若干抱いていて、前回の記事の中でも補足説明をしようか
とても迷っていたからなのです。
ただ、字数の関係で、その説明を省いてしまったものの、
心のどこかで、もぞもぞした思いを抱えていたのでした。

その「もぞもぞ」を、そのマイミクさんがズバリご指摘くださったので
改めて真剣にその「もぞもぞ」と向き合いたい、と思うようになりました。

その「もぞもぞ」の正体こそ、「闇との向き合い方」 だったんですね。


ここで、以前ご紹介した本(食品の裏側)の補足をさせていただきます。

実際に読まれた方ならば実感がおありかと思いますが、
著者は、決して、「食品添加物=悪」 とは捉えてはおらず、またそういう見方も
するべきではない、と自ら言っておられます。

私がお薦めしたい理由は、

現代の食品製造のありのままの姿を知ることで、
だったら自分はどう考え、何を選択するべきか、ということを
自分自身で考えることの大切さを教えてくれる内容である、ということがひとつ。

また、なぜ、身体に悪いと知りながらも、食品添加物が利用されざるを得ないのか、
その実態や背景を知ることが出来る、ということがひとつ。

食品添加物の利用された加工品は、料理をするのに大変 楽だし便利ですが、
それと引き換えに、本来料理をするということはとても手間がかかるし、大変なことなんだ
という姿を、子供たちに見せることが出来なくなってしまうことの危険性を
筆者が説いていることがひとつ。
(それによって、食事を作ってくれることへのありがたさが実感しにくくなっていく、など)

決して一方的ではなく、広い視野で書かれているな、と感じたからでした。


ただ、販売側としては、より強いインパクトのある広告文句で、購買意欲を高めたいという
姿勢があるでしょうから、少々ドギツイ キャッチコピーが先に出てしまうのも
いたしかたないのかも、しれません。。


で、マイミクさんからメッセージをいただき、
改めて 食品添加物を「闇」と置き換えて、
その向き合い方を自分自身に問いかけてみたんです。


すると、ちょうど同じくらいのタイミングで、
まさに「食」を通じて、母との間で自分の心の中に葛藤を抱くような展開が
おきていたんですよね。


母は、栄養士の資格もあるし、
実は子供たちに安全な食べ物を!という思いから、数十年前、
地元(南信州地区)に「生協」を誘致した人でもあるんです。

なのに、今は食品添加物がゴッテリ入った加工品も、お構いなしに利用しますし
年々、その傾向が強まっています。
楽に料理ができる加工品も、好んで利用します。

マクロビオティックに代表されるような、健康志向の料理法が危険視しているような食材も
ガンガン使います。
もちろん、知識がないことも大きな理由ですが、なぜか知ろうとしないのですね。
私がお肉が食べられないと分かっていても、カレーの中にはお肉が入っていますし
野菜炒めの中にも、しっかりお肉が入っています。
お肉食べられないのは家族の中で私だけなので、ワガママは言えません。

今家にいる私が、料理全般すべての全権を握ることも快くは思ってはいないので
バランスを取りながら、母が作る日、私が作る日、料理によって分担、というのを
阿吽の呼吸で察知しながら、生活をしているんですが・・・

生協誘致までした人が、一体ナゼ・・?
常々疑問でした。


で、母が作ってくれた料理にお肉が入っていたり、添加物てんこ盛りの料理が出てきたりすると、
とても戸惑うんですね。
悲しくなってしまうときもある。
腹立たしくなってしまうときすらあったりする。
外食先でもそうでした。
それがずっと、悩みでした。。


でも、そんな自分の気持ちにも、「なんか違うんじゃない?」 と思っていました。。


で、先日の体験で親心を知ることになり、
母への信頼感と深い愛情を噛み締められるようになった上で改めて、
「母の存在」を紐解いてみました。

そしてやはり、これしかない、と思ったのは
母は私に、

この世での「闇との共生」を身につけさせてくれる人だ

ということでした。




食品添加物を排除するのは、闇を排除するのと同じこと。


「闇の存在にも感謝です」 とか口では言っておきながら、
食品添加物の入った食べ物を疎ましく思うのは、
言ってることとやってることが、まるっきり正反対ですよね。


食品添加物について触れた記事だって、まさに「新型インフルエンザ」をテーマにして
「闇との共生」の大切さを 根底に訴えていたものであったのにも関わらず、
思いが伴なっていなかったわけです。


そんなことを、噛み締め、噛み締め、過ごしていたら
深田さんシリーズ最終巻、「弥栄三次元」の中に
まさしく「食」に関すること、しかも私とまったく同じ思考パターンを
主人公がしていて、それに対する神界からのご神示が書かれていて、鳥肌たちました!

主人公が、ジャンクフードばかりを食べてしまったことに罪悪感を抱くんですね。
そこに降りてきた神示とは・・・


 食物を あれは駄目 これも駄目と振り分けて
 身体に悪しきと食することこそ大罪なり

 望む食事にあらずとも
 飢饉にあえぐ人々の
 腹のすき具合を思いなさい

 たとえ望まぬ食事でも
 喜び愛でて食すなら
 身の血となり肉となり
 あなたを生かす神ちから
 はき違えをせぬように

 身体に悪しきは食材にあらず
 人にあり
 食するあなたの感謝こそ
 波立(はりつ)に響かす力なり



頭・ガーーーン! でした・・・。

心・ジーーーン! でした・・・。





「闇」を排除するのではなく、その姿から目を背けず、ありのままを受け入れ
「光」に転換すること。

その大切さは、常々実感していましたし、きっと皆様もそうであろうと思います。


私にとって、母も、お肉も、食品添加物も、ウイルスも、
すべてが「闇」の象徴でありました。

でも、それらが、バラバラに存在しているうちは、ひとつが納得しても
ひとつは納得しない、結局、心と言葉と行動は、一致せず、調和が成り立たないんですね。

すべては雛形、相似形。


で・・。


母の深い「親心」を知り、母への信頼感が自分の中に確立されたことにより、
「食」に対するわだかまりも、不思議なほどにスーーーッと消えていきました。

とても楽な気持ちになりました。
肩の力が抜けました。

出されたすべての食事が、ありがたく思えるようになりました。
こんなに嬉しいことはありません!


もちろん、できる限り自然のもの、身体に良いものを進んで選択していくことは
これからも変わらないですけれどもね、
気持ちがまったく・・違うのです。


そして改めて思い出されたことがひとつ。


この教えは、何も初めて目にしたわけでは、ないんですね。
以前にも、アルク隊長のコミュや記事、いろいろな方の記事の中で、
教えていただいてきていました。

例えばお肉など、いろいろな事情でいただくこともあるでしょう。
その際、

まずは神様から下げ渡していただく (心の中で結構です)
 ※これはすべての食するものに共通ですね

で、「よつあし よつあし よつあし」

と唱える。
食材として身を捧げてくれたことへ、お詫びと感謝の思いを込めて。

いただいた後、感謝を込めて、

「神様 神様 神様」

と唱える。


唱えることが大事なのではなく、
心から感謝して、その思いを声に出すことが大事なのでしょう。


以前から知っていたのにもかかわらず、
胎に落ち切っていなかったんですね、私は。



不要なものは、そもそもこの世には存在はしないはず。

必ず「光」に繋がる存在意義があるんですよね。



食事に限らず、化粧品や衣類などでも、それがいえますね。


身体(地球)に有害なものはすべて排除・・・
もしかしたら私の姿勢は、そうだったんじゃないだろうか・・?





先日家族で「布」っていいよね♪という話になり、
父がそこで、

「天然ものが良いんだよ、天然ものじゃないと、駄目だな」

と言ったところ、すかさず母が、

「そんなことない。 そうばっかりじゃ、ない。」

とキッパリ☆



ああ、この二人の子供で良かった、と、心から思いました゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。

★゚・:,。゚・:,。☆



ありがとうございます。


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13のシステムとゴールド(金)について
前回の記事の中の、

「13のシステム ゴールド(金)と共に」 

というメッセージについて、意外なところにその答え(ヒント)?を
見つけましたので ご紹介します。


つい今しがた読み終えた、深田剛史さんの著書、「天地大神祭」 の中に
それはありました!

書籍お持ちの方は、282ページ以降をご覧ください。


舞台はエジプト。
主人公たちは、開闢を遂げたツタンカーメン王、「トゥトアマテラス」 より
「金」の効用を 伝授されます。

それによれば、

「金」の持つ周波数は、物質を変容させる働きがあり
人の意図する想念に合わせて、物質の原質に変化をもたらす力だそうです。

また、体内に取り入れれば、その人の能力や才能を引き上げる「増幅器」のような
働きもするようですが、
その人の意識レベル、魂の成長度合いが
「金」の持つ安定した周波数に同調できなければ
効果はない、ということだそうです。


ここで、「13」が関係してくるのでしょうね。

前回の記事でもご紹介しましたが、
深田さんによれば、

数霊「13」 から人が学ぶこと として

 惑わされず、心の中心に 芯 を持つこと

 悪しき流れ 愚かしき風習に流されることなく 信念を持つ



というものがあります。

これがすなわち、「金」の周波数に同調するのに必要なこと、ではないでしょうか。


また、深田さんも著書の中で言っておられますが、
精神的高次元に意識が達した分は、どんどん金の活用法が増えてくる・・と。


なるほど・・。

そういう意味でもう一度、今朝の夢を振り返ってみると


様々な体験を通し、多面的な視点で物事を見ることができるようになり、

魂が多面体へと変容し、円に近づく、、ということは、

魂が精神的高次元へと発展することでもあるが、

そのためには、常に心の中心に、何にも惑わされない「不動」の「芯」を持つこと、

悪しき流れ 愚かしき風習に流されることなく 信念を持つことが必要。

そうして魂が向上していけばいくほど、「金」の活用法が増えていく・・と。



「金」の活用法を、もう少し具体的に表現してみると、

「想念の具現化」 や 「闇 を 光 に転換すること」

などが いえるのではないでしょうか。




それにしても、今朝見た夢の「多面体」についての記述も、
この「天地大神祭」の中に、ほぼ同じような記述がありまして・・・!!


嘘でしょ? と、鳥肌が立ちました・・。


この深田剛史さんの連作シリーズ、読むキッカケになったのは
先々週あたりに連日見た夢のキーワード、「三輪山、大物主、諏訪一族」からでして、
特に父のルーツともいえそうな「諏訪:建御名方神」について知りたかったからなのですが
それは連作の最終巻(笑)

どうせなら、最初から読まねば!と思い、読み進めてきましたが
当初の目的をはるかに超え、これを読んでいると、
どうも自分自身が忘れていた遠い記憶が、どんどん掘り起こされていくような・・
そんな感覚に満たされるのです。

また、この本が素晴らしいなあと思うことの大きな理由が、

書籍の中で神々様の言葉として書かれていることは、
本当に私たちに必要な「神示」そのものであり、
また深田氏が解説として書かれていることも、
大変背筋が伸びる思いがする教えで一杯だ、ということでしょうか。

リアル現実で起きた出来事、事件などもからめて、読み解いていけますので
大変読みやすいです。


もし、何かスピリチュアル的な知識や教えを深めたい、と思われる方がいましたら
是非お薦めです。



ご興味のある方はこちらをどうぞ。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%90%5B%93c%8D%84%8Ej

1.日ノ本開闢(祝 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊)

札幌の少女は、北海道神宮で受けた“52”という数字に導かれ名古屋へ向かった。
天河・鞍馬山・三輪山・出雲・白山・木曽御嶽などスピルチュアルなスポットで
次々と明らかになっていく、人間の生きるべき道と隠された世界の真実とは―。
神と人、古代と現代を繋ぐ、数霊をめぐる著者待望のファンタジック・ノベル。



2.臨界点(祝 瀬織津姫 封印解除)

円空、役行者、空海、饒速日尊、白山菊理媛、そして謎の神・瀬織津姫―。
“数霊”の謎解きは、世界制覇を狙う闇の勢力の陰謀とも対峙しながら、
未踏の次元へ踏み込み、そして壮大なクライマックスへ…!!
前作『日之本開闢』から1年、さらにリアルに深く、スピリチュアルファン待望のノベル第二弾。


3.天地大神祭(祝 ツタンカーメン王 再立)

おなじみ「数霊カップル」言納と健太に降りた、謎のメッセージ。与えられた大役を果たすため、舞台は一転エジプトへ。数千年の時を超え古代の想いはよみがえり、人類進化の道程が明らかになる…。シリーズ第三弾、ますます現実と連動するスピリチュアル・ノベルの最前衛。


4.弥栄三次元(祝 諏訪大神建御名方刀美恵比寿尊)

エジプトの大役をついに果たし、それぞれの道を歩みはじめた言納と健太。
出雲と諏訪の哀しき歴史、空海と真井御前の悲恋、そして今度は、シャンバラ?!
二人を待つ次なる試練と神々をも巻き込む壮大な仕組み“光の遷都”とは…。
あまりにリアルなスピリチュアル・ノベル・シリーズ、いよいよ最終局面へ。



いよいよ最終巻、「弥栄三次元」へとたどり着きました☆

楽しみです♪♪



カムナガラタマチハエマセ


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夢日記☆ 〜 13のシステム・ゴールド(金)と共に & さより 〜
夢日記が続きます(笑)

短いですが、意味深いキーワードがありましたので
メモしておこうと思います。


+++++++++++++++++++++++++++


なんだったか忘れてしまったが、
少々厳しい体験を積んでいる私。

うーーーん、苦しい。。
これは少々、骨が折れる・・。


しばらくすると、
いつも夢の中でいろいろと語りかけてくださる
年配の女性の方の声がする。


 これでまたひとつ 面が増えて 円に近づきますよ



その後、断片的に フラッシュのように示された
キーワード。


 13 のシステム

 ゴールド(金) と 共に




金粉が、キラキラと 舞い散る



目が覚めたら、窓の外に 一陣の突風!

その瞬間、


  さより


と、声が 届いた。



+++++++++++++++++++++++++++


「面が増えて 円に近づく」

というのは、魂の成長のことを示しているなあ、、と思って
聞いていました。

人はみな、いろいろな体験を通して、様々なものの見方を覚え、
その「面」を身につけていきます。

多面体ですね。


その面が増えれば増えるほど、その多面体は、球体に近づきます。


人はみな、その「球体」を目指して、日々、切磋琢磨しているのでしょう。


今日の夢を振り返ってみるに・・・
今後自分の私生活は、大きく環境も変化しますし、
先日届いた 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示の
木花万乃 さんの鑑定書、「道しるべ」にも、

2009年は大きな飛躍が望める年
でもそれは同時に 大きな試練もあるということ

と書かれておりました。


今、今後の進路について、いくつか選択肢が 示されています。
まだ明確ではないにしても、どの道を選ぶべきか、
日々自分に問いかけていたところでした。

どの道を選んだとしても、未知の分野への挑戦と同時に、
自分の好奇心と夢を十分満たしてくれそうなことでもあり、
どちらも正解なんだろうな・・とは思っていますが。


13のシステム
ゴールド(金)

については、きちんと説明できるだけの 知識と読解力が 足りません(汗)

が、とりあえず今分かる範囲での 精一杯をご紹介させていただきます。
(深田剛史さん著書:「数霊に秘められた宇宙の叡智」より)


++++++


■13 の数霊が示すもの


「13日の金曜日」とかいって、一般的には不吉な数字と認識されているこの数字、
実はとんでもない力を秘めている数字のため、その威力を独占したいがために
世の中に「不吉な数字」というイメージが与えられた、という側面があるようです。

13を、「12+1」 として捉えると、
12でひとつの世界が完成し、その中心にもうひとつ点が入ると、それが「支配」の点となる。
このプラス1の点が、「主(ス)」であり、「素」、そして、81の「須(ス)」に通じます。
スの大神様の「ス」。

「12+1」としての「13」は、「支配」、「コントロール」を意味し、
単体での 「13」 は、「異次元空間への入り口」 という意味がある。



■人が「13」から学ぶもの

惑わされず、心の中心に 芯 を持つこと

悪しき流れ 愚かしき風習に流されることなく 信念を持つ



+++++



その他、現在宇宙の最高次元は 「13次元」 と言われています。

13の波=イザナミ
13の凪=イザナギ



「13のシステム」という響きになると、
今後のアースチェンジに向けての重要なお働き  というぐらいにしか
解読できない私です・・。

「ゴールド(金)と共に」 となると、ますます 規模が大きくなるようで
今の私には、明確な説明ができません(汗)

申し訳ありません。。

どなたか補足説明をしていただける方がいらっしゃいましたら
よろしくお願いいたします。

 


ところで、目覚めた後の 「さより」 という名前?が気になり、どこかで聞いたような
気がするなあ・・・と思い、調べてみて、「あっ、なんだ〜☆」。


市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)様でしたか!

別名、狭依毘売(さよりびめ)と おっしゃるんでしたね!



いわずと知れた、宗像三女神のお一柱、
ポピュラーなところでは 「弁天様」 としても なじみが深い女神様です。

先日の 江ノ島唄語りの舞台となった、江島神社のご祭神でもありますね。


やはり、先日の「江ノ島唄語り」のエネルギーの強さを、つくづく実感いたします。


本当に、神人タケさん、スタッフの皆様、ご参加された皆様、全国の想いを共有された皆様、
そして神々様に、心からの感謝を申し上げます。


今回の「江ノ島唄語り」の霊的意味等、
イベントの主催者であります アルクトゥルスさんのブログでご説明されていますので
遅ればせながら、ご紹介させていただきます。

アルクトゥルスさんのブログから 「てんごく」 さんのブログへとつながります。

http://arcturusprobe.jugem.jp/?eid=241



江ノ島はスタートだそうです。


これからますます、光のネットワークが 全国に広がり、
新しい調和の国づくりが 加速されんことを、心よりお祈り申し上げます☆


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